今回の先生は歴民の学芸室長。正月飾りについて詳しい資料とともに面白いお話を聞かせてくれました。

資料に記載されていないお話の一部をピックアップします。

1.仙台歴史民俗資料館について
  • 54/11/3開館だったそうです。意外と最近だったんですね。
  • 第4連隊兵舎として使われ、連隊兵舎として残っているのは新潟県新発田市とここだけとのこと。
    宮城県内に残る洋風建築では最古のものだそうです。
2.曜日について
  • 曜日の配置(日曜~土曜まで)は新暦からで、それ以前(明治5年までは)月初めの1日だけ使われたそうです。
  • 日曜休み、土曜半ドンは明治7年に学校に、明治9年には役所に導入されて徐々に定着してきたようです。
3.松焚祭(まつたきまつり)・・・どんと祭
  • 賊軍となった仙台でも明治20年ごろなると江戸時代を振り返り、祭り、行事などが表に出てくるようになり、明治22年には仙台藩300年祭を執り行うなど政宗につながる行事が盛んにおこなわれてきたそうです。
  • このころから大崎八幡神社の松焚祭(どんと祭)も表に出てきたそうですが、この祭りが記録として最初に出てくるのが1849年(嘉永8年)と、そんなに古い記録にはなかったのが意外でした。
  • 大崎八幡神社のみで行われてきたものが、現在は200ヶ所以上で実施されているとか・・・。
  • どんと祭といわれるようになったのは明治39年1月14日に河北新報が九州地方でも同様なお祭りがあり「どんと」と呼ばれていることから、松焚祭をどんと祭りと称して記事にしたのが最初だそうです。
  • それから毎年どんと祭と称して毎年報道していたことにより一般に定着したとか。どんと祭を
    政宗と結び付けて云われるようになったのもこのころからだとか。
4.すずめ踊り
  • これも仙台城築城時に石工が踊っていたものといわれているが、資料がないので真偽不明。
  • 1812年(天保12年)に田植え踊りの一つとして記録に出てくるのが最初で、全国各地に同様な踊りがあったようです(北斎の絵にも描かれたものがある)
5.仙台七夕祭りが有名になったのは・・・次の2点だそうです。
  • 明治10年に元常磐町に遊郭が移され、七夕に仕掛けものをつくり市民にも開放して見せたことと
  • 仙台は明治時代の女子進学率は日本一だった。多くの裁縫学校ができ西洋式教育を取り入れた。現在もつづいている朴沢学園がその代表。七夕飾りを学校ごとに競争させて飾り付けたことによる。
6.七夕祭りの期間について
  • 仙台七夕の期間は、新暦が導入されたからも陰暦7/6~7、新暦8/6~7、7/6~7、閏7/6~7の4回も実施された時代もあったようです。
  • その後昭和20年までは8/6~7に実施されていたが、昭和22年天皇巡行で天皇が8/5に仙台に来られた折にこの日にも実施され、昭和29年から従来の6日から始めることにして8/6~8に変更されたとのこと。

ほかにも正月飾りの切透しの歴史など、ホ~という話で1時間半たっぷりを聞かせていただきました。