今日の講師は東北大学災害科学研究所准教授 蛯名裕一先生です。

先生は国際文化研究科で日本史研究を専門とし古文書の保全活動に長く携わり、2011東日本大震災での古建築、古文書の保全活動を今も続けておられます。

慶長奥州津波

政宗時代に発生した最も大きな地震と言えば、慶長16年(1611)の慶長奥州地震津波です。この津波の被害については、当時の盛岡藩・仙台藩・相馬中村藩に古文書が分布しています。
ここではこの時来日したスペインの探検家セバスティアン・ビスカイノが遭遇した際の「ビスカイノ報告」が紹介されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ビスカイノの 航行日程は上図の通りです。報告の中で「航行中に津波に遭遇。越喜来集落に着岸。集落は高台にあり被害は受けていない。翌日今泉(陸前高田)に航行。家屋が全流失、多数の死者あり。」というものです。

次に参照すべき記録は「駿府政事録」です。
これは家康家臣によるもので、「政宗の家臣と漁師たちは津波に遭遇、近くの山に流れ着いた(千貫松=現在の千貫山)。山の上の松に船を繋いで避難。船は木の梢まで押し上げられ村は無くなっていた」とある。千貫山の山頂までの津波には懐疑的な見方もあるが、岩沼付近に津波が到達した場合、阿武隈川を遡上して千貫山付近に到達した可能性は高いと分析している。

さらにこの付近の地層から、869年貞観、1611年慶長、2011年東北の各大地震津波による地層体積が観測されている。女川原発を造る際当時の東北電力副社長が「もっと高く」と15Mの場所にしたことは、千貫山津波の教訓と言えるでしょう。

慶長奥州津波からの復興

仙台藩の河川改修工事で功績の大きい川村孫兵衛重吉の製塩事業をまず第一に上げています。

「海岸部で堤を気づき巨大な釜で塩を焼いた」入浜式塩田を導入したのが川村孫兵衛です。この塩田開発は、岩沼、亘理鳥の海、仙台、松島、桃生郡各地に広げられました。                   

第2の功績は2代目孫兵衛(川村元吉)の植林事業です。海岸にクロマツを植林し、沿岸部での塩害に強い耐性森林の育成と、伐採による燃料の確保という調和のある生活様式を豊かにしました。このことが大きな”政宗の宝”であると講演を締めくくりました。