本日の講師は、白虎隊ただ一人の生き残りである飯沼貞吉の孫にあたる飯沼一宇(いいぬまかずいえ)先生です。
飯沼先生は、昭和16年に仙台に生まれ、東北大学医学部を卒業、東北大学医学部教授、平成17年に石巻赤十字病院院長、現在はNPO法人子どもの村東北理事長に就任されております。

飯沼一宇先生

 

1 会津什の掟

会津の什の掟(あいづのじゅうのおきて)

震災の翌年、医師向け雑誌「ドクターズ・マガジン」に・・石巻赤十字病院の震災対応について、『最も重要なことは統率とリーダーシップ、それを組織全体で守る協力体制です』と述べたことが・・・震災に遺憾なく統率力を発揮. その底流に「会津什の掟」があった・・という記事で紹介されています。この什の掟に「ならぬことはならぬものです」がでてきます。

会津藩士は10才になると日新館に入学をしますが、それまでの6歳から9歳までの藩士の子供たちが10人で集まりをつくり「お話の什」「遊びの什」と呼んで毎日、仲間の家に集まり、この会津什の掟を読み、藩士としての心得などを繰り返し教え込まれました。

2 飯沼家家系

「いち」がついた名前が多い

飯沼家は西郷家、山川家と姻戚関係にあります。会津藩家老西郷頼母の妻が貞吉の伯母にあたります。また母方の山川家の山川健次郎はいとこにあたり、のちの東京大学総長になります。

 飯沼家では男子は「一(いち)」の字が付いている。貞吉だけが「一」の字がついていない。何故かは不明だが、白虎隊でただ一人生き残ったということから「一」をつけなかったものと想像する。1854年貞吉は飯沼一正の二男として会津若松に生まれました。

 

3 飯沼貞吉の生涯

白虎隊の役割は、藩主松平容保の身辺警護であったため、いよいよ西軍が迫ってきて藩主出陣となったことから白虎隊も出陣することになった・・・

ということから先生の飯沼貞吉のお話が進んでいきます。そして、その孫である飯沼一宇先生にお話は引き継がれていきました、、、

4 震災にもまけない石巻赤十字病院

飯沼先生が赴任した翌年の平成18年に石巻市蛇田地区の3mのかさ上げをした土地に移転した。新築のコンセプトは「災害にまけない病院」だった。3mのかさ上げは、北上川の氾濫を想定してのかさ上げだったが、これが震災の津波被災から免れることつながった。

 

飯沼貞吉と石巻赤十字病院での震災の教訓についてお話をいただきました。ありがとうございました。

なお本日の出席数は614名でした