本日の講師は東北大学副理事で多元物質科学研究所所長・教授の村松淳司先生です。先生は仙台のスポーツとボランティアにも造詣が深く、20033月からグランディ・21ボランティア委員会キャプテンを務める他、2004年9月から市民スポーツとボランティア副代表理事など、大変活発な活動を続けております。


宮城・仙台は全国でもスポーツが盛んな地域である。これにはそれぞれの特徴ある活動・経緯さらにはボランティアの関りがあるとのことです。
仙台のスポーツと言えば先ずはサッカーからその活動の経緯を簡単に。

ベガルタ仙台

1989年にプロサッカーリーグ「Jリーグ」が始まり、1994年に「ブランメル仙台」が設立されました。その後1997年に現・ユアテックスタジアムの開場、2001年には待望のJ1昇格を果たしてます。
これには1990年の全国高校総合体育大会・インターハイが宮城で開催されたことや、これに伴うサッカー場の整備やチーム名を変更した「ベガルタ仙台」の活躍により、サッカー熱が一気に膨れ上がったようです。

 

ワールドカップ開催

1989年から招致活動を続けて、ついに「2002年日本・韓国の2国開催」が決まりました。この開催の受け皿となったのが市民主体のW杯支援組織「キッククラブ」の設置でした。特徴は官製であるが口を出さず自由奔放な活動が保証されたことです。官設民営:これが仙台みやぎのボランティアが日本の中でも特徴的に育って行く礎となり、宮城県総合運動公園グランディ・21の設置完成に結びついたのでしょう。 そして野球・・・

ロッテショック

1974年~1977年の4年間、ロッテ球団が宮城球場を本拠地として活躍しました。しかし、1974年にリーグ優勝するも日本シリーズは後楽園球場となり、仙台での優勝パレードもなく、その後の3年間は観客数は激減し球団は仙台を去っていきました。先生はこれを「ロッテショック」と呼んでいます。

東北楽天ゴールデンイーグルス

パ・リーグ球団の経営難から仙台に思わぬチャンスがやって来ました。球団削減問題で選手会と度重なる交渉の結果新規参入が認められ、2005年から「楽天新球団」が宮城球場を本拠地とすることが決定しました。

 

仙台みやぎのスポーツボランティア

この地のスポーツボランティアが独自の進化を遂げた最大の理由は、2000年に設置された「キッククラブ」だと言います。これまでは「大会ボランティア」と「開催地ボランティア」でしたが、キックボラは第3のボラと言えるでしょう。これは自らが企画し運営するもので、市民スポーツボランティアSV2004とグランディ・21に繋がっていったのです。

スポーツボランティアは2011年でも、被災地に笑顔を広げ、復興のスピードを加速するなど街造りに貢献しました。仙台ではスポーツを見る時ボランティアの活動なしには考えられないようになりました。イーグルスを招致できたのもボランティアの力ではないでしょうか。

そしてTOKYO2020へ

TOKYO2020に向けてテレビで楽しむだけでなく、自分たちで「楽しむこと」を創造し、「仙台みやぎ2020」を立ち上げました。

先生は仙台みやぎのスポーツボランティアの最大の特徴は、1つは「横のつながり」2つ目は「主体性」だとしてさらなる高みを目指していると締め括り学習を終えました。

本日の出席者数は 592名 でした。