1/18 中世南奥州と京都

本日の学習は中世南奥州と京都~石清水八幡宮寺をめぐって~と題して 長年にわたり日本中世史をご研究なされて 平成27年に皇太子徳仁親王(今上陛下)に 「石清水八幡宮文書」を御進講なされた 東北福祉大学教育学部教授 鍛代 敏雄(きたい としお)先生に講演をいただきました。

講師紹介

東北福祉大学教育学部教授 図書館長 鍛代 敏雄  (歴史学博士)

1988年3月 國學院大學大学院博士課程 修了

2002年4月 東洋大学大学院 講師 2

003年4月 國學院大學栃木短期大學教授

2009年3月 國學院大學大学院員客員教授

2015年3月 東北福祉大学教育学部教授(現在に至る)

2018年3月 岩手大学 講師 2020年3月 東北福祉大学図書館長(現在に至る)

著書に『中世後期の寺社と経済』『戦国期の石清水と本願寺』『戦国大名の正体』 『八幡さんの正体』『中世日本の勝者と敗者』『神国論の系譜』があります。

はじめに、郷土・地方・地域について1.地域の視座2.交通の認識3.比較の方法について地域の主体性と国家の相対化のお話があり
地域に主体性を持たせて価値判断、地域史(北上地域や阿武隈地域など)の紹介がなされた。

その中で、色々なお話を頂戴しましたがランダムに掲載すると、 北山輪王寺に所蔵された江戸時代の伊達家の正史 『伊達正統世次考』に石清水八幡宮の事が記載されている。

南奥州と京都A ー 伊達家と石清水八幡宮【善法寺家】  ・歴史学の陥穽:伊達藩の正史『伊達正統世次考』誤謬の系譜 ・足利将軍家と伊達家の婚姻関係:輪王寺の蘭庭明玉の謎 母は紀氏。石清水善法寺通清法印の女(むすめ)なり。後室となりて落飾して蘭庭明玉禅尼と号す。 とあり蘭庭明玉禅尼は善法寺通清法印の娘で三代将軍足利義満の叔母と信じられてきた。 その後、色々の文献や調査でズバリ言えば上の父子関係は創作ないしは改竄されたものと考えて間違いない。 『石清水八幡宮史』首巻「祠官家系図(善法寺)」によれば、蘭庭は通清没後の生まれとなり 親子関係の齟齬は明白であり、これまでどうして検証されなかったのか不思議である。 先生の余研歴究『蘭庭明玉の謎』~伊達家と石清水八幡宮~によれば 創造の翼を大きく広げてみれば、蘭庭の実父は善法寺昇清でなかろうか、 39歳で不慮の死を遂げた後、9歳の蘭庭は長命な祖母・智泉聖通の養女になったと考えれば、 蘭庭禅尼は義満の叔母との「輪王寺記録」にも合点がいくとしている。 輪王寺を創建した持宗(氏宗の嫡子)は、梁川八幡宮を造営しており、 藩祖、政宗(1567~1636)が石清水の勧請神を拝受し、御分霊を仙台に遷座したとする 覚書などに鑑みると、やはり伊達家と石清水八幡宮をめぐる浅からぬ縁が感じられる。


中世日本の骨格 ・時代と時期:院政期~戦国期 ・権門体制:天皇(公家)(寺社)(武家) ― 地域住民(地下) ・荘園公領制:領主・地頭・住人 ・中心と周縁:京都・大宰府・平泉・鎌倉 八幡さんの正体 宇佐八幡宮 奈良の大仏は八幡様に守護されている。 八幡様は分身の術でいくらでも増える。 宇佐八幡は西(奈良時代はすべて西向き)を向いているが石清水系は南向きである。石清水八幡宮の荘園として鎌倉時代まで遡る。 1244 鎌倉中期は神事と仏事を併せて一年に60回も祭りが行われた。


石清水八幡宮 宋と太いパイプ(国宝書物に印、貿易で強い立場) 中国・南宋(1127~1279)で12世紀末から13世紀初頭に出版された「宋版史記」に 13世紀中期の鎌倉時代に日宋貿易を担った九州の神社を支配していた 石清水八幡宮が出版後まもなく輸入した可能性が高く石清水八幡宮(京都八幡市)の トップだった耀清(1202~1255)の印がある事が鍛代敏雄教授の調査でわかった。 鍛代教授が「宋版史記」に押されていた印が1253年に石清水八幡宮のトップにある 検校に就いた耀清の蔵書印と確認。

11世紀後半から、日本と宋、朝鮮半島の高麗との間で商船の往来が活発化し、 博多を拠点に貿易に携わった筥崎宮(福岡市)や香椎宮(同)は石清水八幡宮の支配下にあり、 耀清は香椎宮の検校も兼ねていた関係で、現地に派遣した代官を通じて 宋からの輸入品を入手できた立場にあり、交易史や書誌学史上、貴重な発見である。 宋版史記には京都の建仁寺の住持・月舟寿桂の書き込みや印があり月舟の所蔵とみられる。 その後、京都の妙心寺の僧・南化玄興を経て、上杉景勝の家老・直江兼続に渡り米沢藩校の 興譲館に受け継がれ上杉家が代々保管してきた。 (京都の南禅寺から直江兼続が買い米沢に持ち帰った) 南宋・慶元年間(1195~1200)版『史記』:世界最古の全冊完存本 (全巻90冊あるのは世界で日本のみであり千葉県国立民族博物館に所蔵) 米沢市上杉博物館に米沢藩の上杉家資料が所蔵され手紙は巻物にして保管されているが 上杉家文書は現物のまま保存されており文化庁の歴史的価値として貴重であると講義を進められ、 最後のまとめとして ・地域史の地平を開く・地域と世界は繋がっている・京都と南奥州の接点 比較の視座(ヒト、モノ、コトの交通形態)・学際的な研究(文化と文明の情報交換) ・交通(地域、国家、世界のネットワーク)と全体化で締めくくられました。

本日の出席者は468名でした。