11/9 民俗学的視点からの被災地支援
日 時 令和 4 年 11 月 9 日(水)10時~11 時30 分
演 題 民俗学的視点からの被災地支援
講 師 東北学院大学文学部歴史学科教授
政岡 伸洋 先生
本日の学習は政岡伸洋先生を講師に迎え、東日本大震災後の宮城県本吉郡南三陸町戸倉波伝谷地区の震災前の暮らし、そしてその後復興を通じて東北学院大学の学生と共に関わり、地域性を考慮した支援方法の模索を記録をした経過をお話しいただきました。
講師紹介
1988年佛教大学文学部史学科卒業 2008年東北学院大学文学部歴史学科授
2011年東北福祉大学兼任講師
2011年文化庁・宮城県東日本大震災に伴う被災した民俗文化財調査調査委員
1 大震災と民俗学 (1) 東日本大震災
1、2011年3月11日14:46に発生。M9の東北地方太平洋沖地震に伴う甚大な被害を指す 2、東北地方から関東地方の太平洋側沿岸約500㎞にわたり津波が襲い、福島第一原発事故を誘発
3、2021年3月10日現在、死者15899人、行方不明2526人、合計18425人(警察庁緊急災害警備本発表)
♦津波による被害、福島第一原発の状況が、リアルタイムで流されたことから、世界的にも衝撃を与える
(2)なぜ民俗学で東日な本大震災なのか?
① 民俗学のイメージ
冠婚葬祭や年中行事、祭りや昔話・伝説といった昔から変わりなく受け継がれてきたとされるような身近な生活文化を考える学門。
② 本当にそうなのか?~柳田國男の考えた民俗学 社会が大きく変化する中で起こる、さまざまな社会問題を、過去との対比の中で考え、より良い解決方法を考えようとする学問。 ♦現在、学問の社会的こ貢献というものが重視されるにしたがって、そのような視点があらためて注目されている(「現代民俗学」)
(3)民俗学は東日本大震災にいかに向き合ったか?
①震災を語り継ぐ 被害状況を記録(記憶)に残していこうとする。
②震災後の動きを記録する。震災直後から落ち着きをみせるまでの動きを記録する。
③近代・文明批判~その限界
➃文化財レスキューなど被災地への支援 学問が被災地に対してどのような貢献ができるのか。 ♦この中でも文化財レスキューは、特に注目を集める。
(4)文化財レスキューと民俗学
①文化財レスキュー 宮城県では例外的な動きも見られたが、原則としてはあくまで文化財保護行政の枠組みの中で展開。被災地側のニーズというより、文化財の保護というものを軸に行われた活動。 ②民俗学の視点 地域におこるさまざまな現象に対し、暮らしというものを軸に考えようとする点におおきな特徴。 厳密に見れば両者の間には大きな隔たりがある。
♦これまでのオーソドックスな民俗学の視点や方法、その知識を
踏まえた研究は、ほとんど行われていないのが現状。
(5)本報告の構成 ①,波伝谷(はでんや)にとっての東日本大震災 ここでは震災前の暮らしの特徴を踏まえつつ、東日本大震災がもたらした影響と、これに対する人びとの対応を紹介し災害による混乱とは何だったのかを考える。 ②、被災地への支援で考えたこと 波伝谷への支援については、震災前からの関係もあり、これまでの民俗学的な知見を反映させた方法を模索し続けていたが、ここではそのプロセスを紹介し、民俗学的にとって何が重要かを考える。 ③、災害と日常の民俗学 災害を考える上で、日常の暮らしのあり方を理解することがいかに重要あるかを指摘するとともに、それを踏まえた提言を行う。 ♦これらを通じて、民俗学は何ができるのかについて考えてみたい。
(6)地域の概要 宮城県本吉郡南三陸町戸倉波伝谷地区
①リアス式海岸で知られる三陸沿岸の南部、志津川湾南岸の戸倉半島に位置。 ②近世期には水戸辺村、近代には戸倉村に属し、昭和30年に志津川に編入、平成17年には南三陸町が成立。旧水戸辺村の波伝谷・水戸辺・津の宮・在郷を合わせ、現在この範囲をシカアザ(四ケ字)という。 ③震災前の戸数は82世帯、人口284人⁽2000年現在)
(7)震災前の波伝谷の暮らしー春祈祷ー ①祓いとしての春祈禱 契約講春の総会の翌日(3月第2土曜日)に、若者たちによる獅子舞が各家を一軒ずつ回り、集落中の厄災を祓う。 ②地域の人びとをつなぐ機会 波伝谷のすべての人々が関与し、世帯間交流の機会ともなる。 波伝谷の人びとをつなぐ重要な行事として位置づけられる。(みんなで楽しめる貴重な機会)
(8)震災による被害状況 養殖関係の被害状況(戸倉全体) ①養殖施設 3億5600万 ②カキの共同処理場などの陸上施設 1億8700万円 ③作業船(10t未満)139艘、約2億7500万円 ④養殖生産物(カキ・ワカメ・ホタテ)約3億3000万円 合計約11億4800万円(ホヤを入れるとそれ以上)
(9)春祈禱の「復活」 ①きっかけは、このような混乱が続く中、ある人が楽しかった春祈禱を思い出し、涙を流したという話が、若者の間に伝わる。 →今の波伝谷の人々をつなげるのは春祈禱しかないという話になる。 ②しかし、道具類については、獅子頭は神社本殿にあったため残っていたが、衣装、笛等ほとんどが流され、再開は難しい状況であった。 ③地域の結束を図るという目的から、自分たちで道具類をそろえようとするが、最終的には外部からの支援を受け、1ヶ月遅れの2012年4月15日に行われる。
(10)支援策の具体化ーオネンブツの支援ー ①オネンブツの道具類に対する支援の要請 波伝谷仮設住宅の自治会長から、オネンブツで使用する大き数珠などの道具類を何とかできないかとの依頼がくる。 ②オネンブツの意味の再発見 ここで、初めて波伝谷の暮らしにとって、オネンブツというものが重要であったことを気付かされる。しかし、この段階では、なぜオネンブツの道具類なのか、まったく理解できず。 ♦オネンブツの道具類をどう支援するかが大きな課題となる。
(11)なぜオネンブツの道具類だったのか 震災による社会的任務の喪失 ①姑世代が中心となって担ってきた。亡くなった方へ供養の場が震災によって奪われてしまったこと。 多くの人が津波やその後の混乱の中で亡くなったにもかかわらず、姑世代の重要な社会的任務である死者供養ができなくなってしまう。 ②東日本大震災と姑世代 (a)復興支援事業の対象は養殖業関するものが中心、支援の話も春祈禱。姑世代が中心に担ってきた畑仕事や死者供養などは、ほとんど準備されず。 (b)東北地方は互酬性が顕著な地域であるがこの点からすれば、少しでも早く、自らが担うべき社会的役割を果たしたいと思うのは、当然のこと。
(12)以上の点から ①文化財レスキュー活動 今回の東日本大震災への対応により、行政的にも支援のあり方がシステム化。ただし、これだけでは被災地のニーズに対応できず。 ②民俗学に求められるもの そこから漏れ落ちてしまうもの、でも人びとの暮らしにとって大切なものを、事前に日常の暮らしから明らかにしておき、いざというときに、そこに手を差し伸べられるかが重要なのではないか。
♦暮らしを総体的とらえる民俗誌的視点から、人びとの日常の暮らしにとって何が大切かを考えておくことが重要!
♦本日受講生は426名でした。