12/11 北山五山の歴史と仙台藩の埋もれた遺臣たち
講師紹介
北山五山ガイドボランティア会長 我妻信夫先生
昭和16年 仙台市大町に生まれる。
幼少の折、仙台大空襲にて、一時 福島県梁川(伊達家にゆかりの
地に疎開され仙台に戻られ、仙台二高東北学院大学をご卒業後銀行
員としてご活躍。
経営コンサルタント・NPO法人役員をなされ、2008年 北山五山
を中心とした。北山ガイド ボランティアを設立、会長兼事務局長
として現在に至っておられます。
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北山五山への誘い:
四季折々の豊かな自然に恵まれた仙台・北山地区は1601年、(慶長6年)に政宗が仙台城や仙台城
下の建設に着手すると、北山付近は仙台城下の北縁となり、伊達家ゆかりの寺院が配置される。政宗
には北の守りと言うよりは、京都の北山があり、正宗が置いた寺院も、伊達家とゆかりが深い禅宗寺
院ー臨済宗と曹洞宗で京都を意識した「北の都」を作り上げた様に思える。
本日お話し頂いたのは、400余年にわたる、輪王寺・資福寺・覚範寺・東昌寺・光明寺 に於ける波
乱の歴史と、各寺の宝物類、又、そこに眠る偉大な歴上の人物の普段では聞けない数々の興味ある
エピソードを、時間の許す限りスライド等を交えての講義であった。
ここに記述するには余りにも話題豊富な内容であり、吾妻先生の言われる如く、まだまだ紹介壇上に
現れない埋もれた遺臣の方々が眠って居られる場所でもある。
ご講演を聴かれ、北山五山の歴史等に興味を抱かれた諸兄に申し上げることは、吾妻先生の最後の
スライドにある「是非一度と言わず、北山五山へお出かけください。お待ちしてます」に、尽きると
思います。この紙上で述べることは、本の五山への誘いの一言でしが無いことご理解ください。
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北山五山寸評
豊かな自然に恵まれた我が国、その中でも際立っ多自然の宝庫は個人的には東北もその一つだと思う。
四季折々に散策が楽しめる、ここ北山はその縮図かも知れない。寺院・歴史‣故人の墓・保有されて
いる貴重な資料の数々、興味は個人によって十人十色。その興味を満たしてくれる多くがここにある
と思う。
散策の友として「仙台藩の埋もれた遺臣たち」 北山ガイドボランティアが編纂されたガイドブック
もお役に立つのではないかと、思う。
輪王寺:
政宗「17世藩祖」であるが、9世にも政宗がいた。9世政宗正室の菩提寺。11世持宗が、祖母の為に
建立。キリスト教の共同墓地もあるユニークな寺。赤痢菌の発見者 志賀潔他、偉大な故人が多く
眠る場所でもある。
光明寺:
1283年「弘安6年」伊達4世:政依が福島県伊達市に創建し、現在地に移った。ヨーロッパに渡航
した、支倉常長や、宮城県における音楽の父とも称される四竃仁爾もここに眠る。
東昌寺:
1283年、伊達家4世政依が自身の菩提寺として建立。山門に山岡鉄舟(勝海舟と談判江戸を戦火から
救った)著「無為」の額が山門にある。
覚範寺:
政宗の父輝宗の菩提寺。虎裁和尚が米沢に開山した寺院。政宗が仙台開府の際、東昌寺、光明寺と
並んで建立した。
資福寺:
伊達家とその家臣達の人間教育の場としても重要であった。本堂にはお釈迦様の出生降誕から涅槃
までを描くステンドグラスがはめ込まれた唐戸がある。堂内からの眺めは素晴らしい。紫陽花寺と
も言われ、梅雨時鵜の散策には趣がある。
末筆になりましたが、ユーモアを交えての中身の濃いご講演を頂いた、吾妻信夫先生に心より御礼申し上げます。