2/16 梅田川下流・仙台の古層風景

本日は、東北文化学園大学教授 八十川 淳先生を招き、『梅田川下流・仙台の古層風景』サブタイトル「地名に残る縄文風景を探る~宮城野と梅田川~」と題し、地名表記、字名に残る縄文の生活誌等について講演をいただきました。

講師紹介

 

東北文化学園大学工学部建築環境学科 教授

八十川 淳先生(ヤソカワ ジュン)

主に「給排水設備」「地域と環境の見立て」について教鞭

 

1967年    香川県 高松市 生まれ(高校まで、高松市在住)
1990年3月  早稲田大学 理工学部 建築学科卒業
1998年9月  東北科学技術短期大学 講師として着任(以後仙台市 在住)
1998年10月  早稲田大学大学院 理工学研究科 博士(工学)
現在         東北文化学園大学 建築環境学科 教授
《主な地域活動》
・市民団体「梅田川せせらぎ緑道を考える会」代表
・「北部地区梅田河川美化推進協議会」副代表  他

1.地名表記について考える

(1) 地名にはいろいろな表記が存在しており日本全国の地名は、アイヌ語が語源となり構成されている。
(2) 仙台中心部の明治元年の地図には「代の原」と記されている。

(3) アイヌ語が語源となる各地の地名と意味

(4) 日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」国際研究チームが発表(2021年11月13日毎日新聞発表)
研究チームの一人、同研究所のマーク・ハドソン博士(考古学)によると、日本列島では新たに入ってきた言語が先住者である縄文人の言語に置き換わり、古い言語はアイヌ語となって孤立して残ったという。
(5) 言語学者村山七郎(1908-1995)の著書『アイヌ語の起源』によるとアイヌ語はオーストロネシア系言語であると記されている。
(6) 北海道は、仏教の布教が及ばなかったため文字化が遅れた。

2.小鶴ー宮城野の地形

(1) 川の本来の流れ方は、どんどん川幅を広げようと、まとまりがつかないまま流れているのが自然。
(2) 「行人塚伝説(現在の古城神社)」(仙台市ホームページ)より
昔、広瀬川は七郷を流れ、深沼で海にそそいでいた。洪水が頻繁に起こるので村人が大変困っており、洪水を防ぐために人柱を立てた。それからは川の水が閖上に流れ洪水が起きなくなった。という伝説がある。

 

(3) 広瀬川と七北田川によって運ばれる土砂堆積が堤防を成し、燕沢の無数の湧水や梅田川等の水で「せき止め湖」が形成され小鶴~宮城野は泥炭湿地となった。

3.字名が語る梅田川の澪筋

(1) 梅田川(小鶴新田駅界隈)の土砂の搬出の様子(元年6月から10月8年ぶりの工事)。本来の姿はどうだったのか、今の姿を縄文人が見たらどう思うのであろうか。

(2) お舟曳堀について

1673年頃に完成、国道45号線に沿って苦竹から金屋敷~七曲~大曲~三ツ橋下へと水路が造られ農産物の輸送等に利用された。(三ツ橋下:魚の多く通るところ)

4.字名に残る縄文の生活誌

(1) 砂川遺跡
縄文時代は水際にベースキャンプがおかれ、9世紀時代の生活の様子を矢じりの分布状況から割り出した。住居付近には矢じりはの破片は落ちておらず、4キロほど離れたベースキャンプに多数の破片が落ちていた。ベースキャンプでは火などを焚かず獣達にまぎれた生活をしており、住居には「クマ」を多数設置し肉などを乾燥していた。
(2) クマ
両方に柱を立ててその上に横棒を渡し、それに肉をかけて乾かす施設をいう。
(3) セタ
犬、狼(古い時代の呼び方)。古代には多数の狼が飼育されていた。
(4) 根白石村の字名
根白石には字名が多い。「根白石」とは岩場が沢山あり「ヤナ」がふんだんに仕掛けてある所との意味がある。

 

おわりに

私たちは縄文の祖先から引き継いだこの土地を、地名の面影とは全く異なるイメージに作り変えて来ました。祖先は「よくぞやった」と喜ぶでしょうか。いやいや「仙台(千代)の地名を返上しろ」と怒られる気がしてなりません。とし本日の講演を終えられた。

  《本日の学習会出席者は381名でした。》