令和8年度 5/6 第2回 学習会「明治維新と宮城の芸能-神楽の明治維新ー」
本日は、東北生活文化大学非常勤講師の 笠原信男 先生から「明治維新と宮城の芸能-神楽の明治維新ー」と題して、神楽の歴史を丁寧に紐解いてお話しいただきました。日ごろ意識することのない神楽が、意外に身近な芸能であることが理解でき、神楽とは神が楽しむ神中心の芸能である、ことを認識することができました。
講師紹介 笠原 信男 先生
略歴
〇昭和58年3月 國學院大學大学院文学研究科日本史学専攻(修士課程)修了
〇昭和58年4月~令和3年3月 宮城県教育委員会勤務
この間に多賀城跡調査研究所長、教育庁文化財保護課長、
東北歴史博物館長等を務める
〇平成29年4月~現在 東北生活文化大学非常勤講師
1.宮城県の神楽
県北内陸部中心に南部神楽、県北海岸部中心に法印神楽、仙台以南に十二座神楽、それに七ヶ宿・丸森町・山元町で、合わせて167団体ある。
2.江戸時代の神事と神楽
江戸時代に現在の宮城県域で行われていた神楽は、2形態あった。
社家と、別当である修験院の行った神楽である。
3.神々の明治維新
幕藩体制を廃して、天皇を中心とする中央集権国家への移行を目指した変革であった。
明治政府は、江戸時代まで700年以上続いた、神と仏が共存する「神仏習合」を廃止し、『古事記』に描かれている古来の神観を取り戻そうとした。
4.明治期の神楽再編
(1)母体となる組織
しかし、神道だけではうまくいかず、仏教を巻き込んで神仏習合的な政策に変更された。尊王愛国思想の教化を行う機関として、明治5年大教院が設置され、指導役を任命。
大教院のもと、各府県に中教院が設置された。が、指導役の多数を占めた神職と僧侶が反発しあい紛糾、明治8年大教院は解散。以後、各自布教となった。
しかし、その後も神道界の組織は残り、戦後の宮城県神社庁へと継承された。
明治4年の布告ですべての神職の世襲が禁じられた。全国の神社と神職は国家所属となって、中央政府と地方が管轄した。
明治4年には、「氏子調規則」によって新生児は郷社(村社)に詣でて氏子札を受けることとなった。
(2)宮城県中教院による神楽規制
明治の体制下において神楽は、祭礼の出し物である神賑行事の一つとなり、記紀神話に登場する神が重視された。この視点を審査する神楽試験が行われた。
(3)神楽試験と神楽再編
県北海岸部中心に、知られる法印神楽は23組ある。
①郡内の神職による郷社奉納神楽
②郡内の神職による村社奉納神楽
③村社(氏神社)単位の神楽
(4)神楽芸態の変化
神道は、天照大御神を中心に『古事記』に登場する神々を体系化した。
神楽は、祭神を楽しませるものであり、滑稽な神楽、ふざけた神楽は神を愚弄するものとした。神は非礼を受けない。
- 神楽舞子認可証
- 神世七代の諸神
- 法印神楽「初矢・両天・三天」の神名
※芸能上演日を知るには下から‥‥
※ 本日の出席者数は544名でした






































