12/12 夢で逢えたら~古典に学ぶ死生学~
本日の講師は、宮城学院女子大学学芸学部 日本文学科長 深澤 昌夫 先生です。
能舞台
世阿弥は夢幻能を作りました。夢幻能とは霊などの主人公 (シテ)が、修行僧(ワキ)の前に現れ、伝説や身の上を語る世界にも稀な死者を主人公にしたものです。
能舞台には、舞台につながる廊下があり「橋懸かり」といいます。橋懸かりは単なる通路ではなく、死者がこちらに来るのには必要なものという位置づけ。橋、柱、箸も大和言葉では「はし」とよみ、かけ渡すものという意味です。
正面奥に鏡板があり老松が描かれている。古いものに尊敬の念を持つことと松は永遠不変の象徴とみられ、神が宿るのにはふさわしいものとして老松が描かれている。
能「井筒」
あらすじ (以下の点を留意してあらすじを読む・能を見るとわかりやすい)
伊勢物語の古京とは平城京すなわち奈良の都のこと。能では能面を付けるのは主人公だけ。夢幻能では主人公は死者を演じることが大半。物語では僧が衣を裏返すという場面があるが、裏返すは、繰り返すを意味し、ここではまた会いたいという思いを込めている
後場のシテは業平菱の模様の衣装を着ている。業平菱とは菱形の模様が入った衣装のことで在原業平を描くときの定番。
(学習会では動画で説明がありましたが、ここでは動画がないのでスライドショーにリンクを張っておきます)
能は死生観
死後の世界は見えない世界。この世は儚(はかな)く、いずれ死を迎える。見えない世界を信じ、魂はその後も存在し続けるということを能で表現していく。能は死生観でもある。
あの世とこの世とは切れてはいるが、橋がかけられておりこちらへ来ることもあるという考え方が日本人の中にある。
いずれ私たちは死から逃れることはできないが、これで終わりではなく魂は生きつづけるというのが今日の学習で伝えたかったこと。
そしてこの能から学ぶことは、
以上が今日の学習の概要でした。能の理解が多少進んだ気がします。ありがとうございました。