4/24 第1回学習会 災害を乗り越えてきた仙台・宮城のこれまでとこれから

熊谷達也 先生

講師紹介
 1958年 仙台市生まれ。東京電機大学理工学部卒業。中学校教諭、保険代理店業を経て、1997年『ウエンカムイの爪』で小説すばる新人賞を受賞してデビュー。
2000年『漂泊の牙』で新田次郎文学賞、2004年『邂逅の森』で山本周五郎賞、直木賞をダブル受賞。
マタギの世界を描いた『森三部作』、宮城県気仙沼をモデルにした架空の港町が舞台の『仙河海サーガ』をはじめ、青春小説から歴史小説、SFまで、幅広いジャンルの作品を手掛けている。

日本は災害の多い国

水害
日本は急流が多く水害が多かったが、
近年は治水工事、護岸工事が進み、大きな人的被害は無くなっている。
・伊勢湾台風 1959年(昭和34年) 犠牲者‥約5千人
・枕崎台風  1945年(昭和20年) 犠牲者‥約3千人
・室戸台風  1934年(昭和9年)  犠牲者‥約3千人

地震、津波
宮城県の地震は、3~40年間隔で発生している。
明治三陸地震 1896年(明治29年)犠牲者‥約2万人
津波が最大38メートル(平均10~20メートル)
昭和三陸地震 1933年(昭和8年) 犠牲者‥約1500人
津波が10メートル超であったが、犠牲者が少なかったのは明治三陸地震から37年で、記憶が
語り継がれていたためと考えることができる。
・宮城県沖地震 1978年(昭和53年)犠牲者‥1300人
津波1メートル弱
・東北太平洋沖地震 2011年(平成23年) 犠牲者‥約2万人
40メートル超えの巨大津波
 人的被害が甚大だったのは、大津波のあった前回の地震(1933年)から78年たっている
ことから、被害の記憶が語り継がれることが、途切れたのかもしれない。

自身が2011年の震災の後、どう向き合ってきたか

つらいこと、苦しいことは人に話したくない。
個々の経験の蓄積は、どこかで次の世代に伝えるべきだが

文学の世界で何ができるか、
3.11震災1年後の「文芸春秋(臨時増刊2012.3.月号 3.11から1年)」

文藝春秋 2012.3増刊号を手に

に、作家100人の特集があるが、文学者はひ弱だなと思った。
言葉が出なくなる、創作活動ができなくなる。
文学者は、じっくり考えてから発信したほうが良いと思っている。

さて、自身はどうしてきたか。
震災を経験した小説家は自分しかいないとはいえ、苦しくて書けなかった。
約半年の間、毎週のように被害のあった沿岸部へ出かけ、だだ空と海を眺めていた。

そんなころ、ある人に言われた言葉が、
映像だけでは、そこで何があって、どんな人がいて、どんな生活があったのか何もわからない。
地震を経験した作家は、あなたしかいない、何か書きなよ。

この後、震災後初めて没頭して読めた本に出合う。
それが「海炭市叙景」(1949年 佐藤泰志著)で、執筆を再開するきっかけになった。
これは、函館を舞台にした本で、ふと、こんな本を書いてみたいなと思った。
この本をオマージュして書けた本が、気仙沼を舞台にした「希望の海ー仙河海叙景」です。
これは、日常が突然分断されることが、
どういうことかということを書きたかった。

おわりに

 気仙沼をモデルにした小説群を書いている中で、
震災後、沿岸部に毎週通って、ただ海を見て過ごした半年間は、やはり心の中では小説を書きたかった、その材料や蓄積するものを貯めようとした行為があれなんだと、ようやく分かった。
2万人を超える人達の、魂や屍の上にいて書かせてもらっている思いです。
残酷なことをしていると思うが、亡くなった人々の望んでいるのは、生き残った人が幸せになってね、と思っているのではないかと、最近つらつら思っています。

役に立つような話は何もしゃべりませんでしたが、自分なりに頑張ってたんだなと思っていただけたら、うれしいです。
 これからも、皆さんに負けないように頑張っていきたいと思います。
有難うございました。

新刊紹介
・『我は景祐』 幕末の戊辰戦争、仙台藩の実在人物ををテーマにした。
・『芦東山』 江戸時代、一の関藩の儒学者、ある事情で24年間幽閉されていた間に、著した
「無刑録」は近代刑法のもとになった。
・『孤立宇宙』 SF作品

※柔らかな、高齢者にはうれしい、聞き取りやすい語り口でお話しいただきました。
ご自身の若かりし頃の、エピソードも交えての素晴らしい内容で、感銘を受けました。
有難うございました。

本日の出席者は578名でした。