10/6 政宗謀反の噂と若林城
本日の講師は東北大学名誉教授(元宮城学院女子大学学長) 平川 新(ひらかわ あらた)先生です。今回は「政宗の謀反の噂と若林城」と題し長年の研究と検証に基づき、平川新先生の独創的な発想と数多くの文献から興味ある貴重な講演をお聞きしました。
◇平川 新先生のプロフィール
1950年福岡県に生まれる
2014~2019年迄宮城女子学院大学学長を務める。現在東北大学名誉教授の職にある。専門は日本近世史で主な著書に「戦国日本と大航海時代ー秀吉・家康・政宗の外交戦略」(中央新書、2019年和辻哲郎文化賞受賞)、「仙台藩とお家騒動―四代藩主綱村のお家騒動」等多数
第1部 家康の「仙台陣」と政宗の防備構想
慶長20年(1615)5月大阪夏の陣で豊臣秀頼が自刃し、豊臣家が滅亡する。元和2年(1616)1月に徳川将軍家が「仙台陣」の準備をしているとの話が伝わる。
1.突如、政宗謀反の噂で、幕府の総攻撃を受けたら仙台藩に勝ち目がない
2.政宗の仙台防衛構想
政宗は真意を確かめるために家来145名と共に江戸に出向き、弁明の為に家康の居る駿府迄馳せ上った。万が一の為に仙台防衛構想を部下に命じた。(木村右衛門覚書書より.)
3.仙台城を落とされていたら・・・瑞巌寺は「政宗の最後の場」
政宗は御運命尽きた時は、松島瑞巌寺で切腹する覚悟であった、現在瑞巌寺には政宗の位牌が安置されている。
4.「政宗謀反」の真相・・・駿府で家康からの話を受けて、政宗の怒り
政宗は駿府城で家康より政宗の長女/五郎八姫の婿松平忠輝が大阪冬の陣で豊臣方と通じ、家康の病を幸いとして天下を狙っていると進言したと聞き、信頼していた婿に裏切られ、怒りと落胆で五郎八姫の離縁を決めた。
5.政宗、家康に忠誠を誓う・・・家康の知略
政宗が家康に忠誠を誓ったことで、政宗は2代将軍秀忠3代将軍家光の後見人を家康より託される。家康はこの一件で忠輝を排除して徳川家の内紛の要素を摘み取り、また政宗に忠誠を誓わせる場として利用し、見事に政宗を封じ込めた。
第2部 若林城は、何故造られたのか?
若林城は現在、宮城刑務所になっている。
1.政宗は、なぜ若林城を造ったのか?文献より・・・文献より検証すると
仙台市史の見解として徳川家の二元政治(政宗・忠宗)に対抗するため、または交通流通拠点説がある。この説には問題点がある。
2.政宗はなぜ若林城をつくったか?・・・政宗の対徳川戦略にあった
「東奥老子夜話」に拠れば徳川軍の襲来に備えた防御拠点としての性格が濃厚であった、また元和2年(1616)8月家康没後に2回目の「政宗謀反」の噂があったために、徳川秀忠が「仙台陣」を用意した噂があった。
3.若林城に込めた政宗の意思・・・政宗の遺言からひも解く(貞山公治家記録』の記事から
4.政宗の遺言をめぐる二つの問題・・・若林城の縮小指示(全面解体せず)
◇2019年和辻哲郎文学賞を受賞された平川 新先生の著書「戦国日本と大航海時代ー秀吉・家康・政宗の外交ー」(中央文庫)をご紹介いたします。
本日は仙台にゆかりのある伊達政宗について、貴重なお話をお聞きしました。 平川 新先生ありがとうございました。
本日の学習会出席数は337名でした。今年度、最多の出席となりました。