11/8 歴史のなかの宮城県

  本日の学習は、東北大学名誉教授平川新先生(日本近代史)を講師にお迎え、「歴史のなかの宮城県」と題し、元気のでる歴史の見方についてご講演をいただきました。

講師紹介
 東北大学名誉教授
 宮城県慶長使節船ミュージアム サン・ファン館館長
  平川 新 (ひらかわ あらた)先生

     東北大学東北アジア研究センター長
     東北大学災害科学国際研究所所長
             宮城学院女子大学学長を経て現職

 

 

1  未来が見える歴史解釈を

 宮城県誕生150年を迎える2022年2月15日、平川先生は河北新報のインタビューに対し、宮城、東北を巡る後ろ向きな歴史評価について、戊辰戦争での敗戦、食料や人材の供給基地の側面に焦点を当てた「対中央従属論」を「外から押し付けた、上から目線のワンパターンな解釈」で、「今回の節目を機に、未来の見える歴史解釈を共有してほしい」と訴えました。宮城県としての歩みも種々の困難がありました。そうした負の側面を重視するると、東北は東京に従属されたとか、食料や労働力供給の国内植民地になった、という解釈が表に出てくることになります。しかしこうした視点だけでは、自分たちの地域や歴史に自信を持つことができませんし、元気も出てきません。東北の主体性を尊重した新しい「東北論」や「宮城論」をつくりだしましょう。と解釈を転換させる具体的な例を紹介してくれました。

2 元気が出る歴史解釈を

 安部一族等が朝廷と戦った古代の戦争、奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされた奥州合戦、伊達政宗も豊臣秀吉の軍門に下った奥州仕置。仙台藩62万石は岩手県南まで領地だったが、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟に参加していた諸藩は領域を取り上げられ28万石へ半分以下に領地を減らされました。東北は敗残の歴史と位置づけられてきました。しかしそれは結果としての一面で、私はむしろ奥羽自立のためにこんなに戦ってきたのかと感嘆しています。負けたという結果ではなく、服従を拒否した精神を読み取りましょう。そこに東北の矜持があります。歴史の見方を変えると、逆に元気のでる東北の歴史、強さが浮かび上がってきます。

3 二つの戦後復興

 明治5年の宮城県成立から昨年(2022年)まで150年。この150年は戊辰戦争からの戦後復興で、東北独自の重荷を背負いました。もう一つは第二次世界大戦からの日本全体の復興です。いずれも困難を乗り越えながら私たちの先人はめげずに励んでくださって”復興させるぞ、元気になるんだ”という意欲をかき立て、豊かな社会を実現したいと皆さん頑張ってきたと思います。そんな意味で県政150年の歴史は、戦後復興に取り組み、豊かさを求めてきた歴史であったと思います。

4 郷土愛こそが地域を元気にする

 最後に平川先生からは、歴史には人を元気にする要素がたくさんあります。皆さんがそこに目を向け、地域の良さを語り、郷土愛を育むことで、宮城の将来が希望にあふれるものとなることを願っています。とメッセージをいただきました。

 

 

  《本日の出席者は516名でした》