7/12 『仙台真田氏』~伊達・片倉・真田の縁と絆の物語~

今日の学習の講師は蔵王町教育委員会生涯学習課 佐藤課長補佐です。                  

 佐藤課長補佐はこの3月に文化財保護係の係長から昇進されたと自己紹介されていました。仙台真田氏を蔵王町の町おこしにとこれまで約10年間、奮闘してこられたそうで都合40数回、真田氏に関する講演も続けてこられたとか。  

今日は私たち明青大学生のために資料とともに立派なパンフレットを持参いただき、その資料に基づいて仙台真田氏の貴重なお話を聴かせていただきました。

以下、片倉家に預けられた幸村の子供たちにつながるお話を何点か・・・。

  • 昨年の大河ドラマ「真田丸」放映を機に真田幸村の子孫が代々暮らした血脈の郷のモニュメントとして「矢附(やづき)真田の郷歴史公園」を造った。出来たのはドラマが終わる昨年12月だった・・・と笑いを取っていました。   
  • 真田幸村の肖像画で現存しているのは3点あり、それらは幸村が生きているときに描かれたものといわれている。当代 真田13代の徹氏所蔵の肖像画は、江戸時代に描きうつされて伝わっているものだそうです。

    真田幸村肖像(真田徹氏所蔵)

  • 幸村が子供を思う気持ちは大坂夏の陣の前に石合重蔵(長女すえの夫)宛に書いた「すえ」をよろしくという手紙でもわかる。
  • 当時数え3歳の大八などの幼子の行く末を案じたのはいうまでもないことで、それが5人の子供たちが伊達家へ預けられることにつながっている。
  • 片倉家は預かった女子4名は堂々と公表していた(当時は婦女子は戦利品的位置づけだった)
  • 一方、唯一の男子である大八は幸村の子ではないという偽装工作までして隠しとおし、25年後に二代忠宗に家臣として召し出された。写真はその頃のもの。この家紋は「結び雁金(むすびかりがね)紋」で真田家の正式な家紋の一つ。

    伊達忠宗に召出されたころの真田守信肖像(真田徹氏所蔵)

  • そして1644年(寛永21年)に刈田郡矢附村に知行を与えられ、在郷屋敷を設けたことにより蔵王町との縁ができたことになる。
  • 仙台真田氏初代守信から、その血脈は当主 徹さんと分家 とつさんにつながり、そのとつさんに7人の子供がいてその子孫が白石市、蔵王町に在住。真田は名乗ってはいないが真田の末裔という誇りをもって生きておられるとのことです。

佐藤課長補佐は、大河ドラマ真田丸で大八が政宗に預けられるシーンが設けられたことで(史実とは少し違ったが)、これまでの苦労が報われたと感じたそうです。よかったですね!これからもご活躍をお祈りいたします。

仙台真田氏は「真田の里蔵王町公式ホームページ」にも詳しく載っていますので、併せて復習・確認などにも使うといいかもしれません