6/14 テレビ番組制作の現場から
N本日の学習は、東北放送報道制作局長の石森勝巳先生から、東北放送の概要、コメディアン「たこ八郎」を描いたドキュメンタリーの紹介、番組制作のウラ話・エピソード、番組制作にあたって大切なこと等を講演いただきました。
講師紹介
東北放送報道制作局長 石森 勝巳 (いしもり かつみ)先生
1997年 東北放送株式会社入社
・ テレビ局制作部
2009年~ 東京支社ラジオ部長
2013年~ 報道制作局テレビ制作部長
2020年~ ラジオ局長
2022年~ 報道制作局長
*東北放送以前は松山プロ(映画監督松山善三の制作会社)に所属、NHKやTV東京のドキュメンタリー番組などを制作
1.東北放送について
●1951年 民間放送開設申請、12月仙台放送㈱設立。翌年ラジオ放送開始。テレビ放送は59年に開始
●1953年 東北放送㈱に社名変更、略称はTBC
●テレビ番組は Nスタみやぎ・ひるまでウォッチン・サンドのぼんやり~ぬTV 等
●ラジオ番組は en Voyage・GoGoはみみこいラジオな気分 等
●ドラマ『小さな神たちの祭り』を2019年放送
- 東日本大震災を題材にした60周年記念ドラマ、制作統括は石森勝巳さん(本日の講師)が担当
- アジア・テレビジョン・アワード最優秀賞、国際エミー賞4位
●「放送」と「インターネット配信」を両輪とする発信に力を入れている!
・tbc NEWS DIG(ニュースサイト)
・TVer(ティーバー)の認知率・利用率も高い
2.『妖精と呼ばれたコメディアン』
. ~覚えていますか、たこちゃん、こと たこ八郎を~
赤塚不二夫が「妖精」と呼んだ、元プロボクサーでコメディアン「たこ八郎」の生涯と、彼に関わった人々を描いた65周年記念ドキュメンタリー番組の上映(40分)
- 「たこちゃん」こと「たこ八郎」は仙台の苦竹村出身、本名 齋藤清作、仙台育英高校ボクシング部
- 上京してプロボクサー、日本フライ級チャンピオンに。視力障害の彼があみ出したノーガード戦法は、漫画「あしたのジョー」の矢吹丈も採用
- 3度目の防衛に失敗、由利徹の内弟子になり「たこ八郎」の名を貰うが、パンチドランカーを発症。コメディの聖地 浅草へ、作家 団鬼六に出会う
- 「たこ劇団」で寸劇公演、映画監督の山本晋也・山田洋次の作品、TVドラマ「ムー」、CMにも出演、多くの人に愛される
- 赤塚不二夫のほか、柄本 明、樹木希林とも親交が深い
- 神奈川県の海で謎の死、44歳 。友川カズキが唄う「たこちゃんの歌」が流れ、ドキュメンタリーが終わる…
3.番組の制作にあたって
◆この企画は構成作家と新宿の居酒屋で作った
◆なんで「たこ八郎」なのか?(企画メモから)
- うねる文化状況
… 1970年代初め、日活ロマンP、寺山修司、タモリの時代 - 寛容な時代だったあのころ
… 多くの人に愛され、新宿の飲み屋では特別待遇 - ”ことばの向こうに広がる悲しみ”を知る人
… たこ八郎の口ぐせ「めいわくかけて ありがとう」
◆ロケハンでのウラ話
- ピエロはベニーランドで、少年時代はスタッフの実家で撮影
- リングは山形県某高校のボクシング部、映画館は福島県の本宮劇場
- 自転車は仙台で探した、等々…
◆出演者のエピソード
- 樹木希林さん:全身がんにも係わらず、真夏の炎天下、自宅前で撮影隊をわざわざ出迎え、”たこちゃんの秘話”を話してくれた
- 柄本 明さん:ナレーター・由利 徹・たこ八郎の一人三役を、快く引き受けてくれた
4. TV制作の現場から 伝えたいこと
◆人間関係の構築がとても大事
- コロナ禍で何でもリモート、人との接触が減り、TVの現場でも仕事のやり方が変わってきたが、やはり各場面で人と関わることを大切に!
◆たこさんが生きていた頃の ”人間くささ” が好き
- 制作に時間をかけたが、いろいろな人を介して撮影を行ったから
- デジタルの世界は便利で効率も良いが、クリエイティブなもの造りのTV現場には”人間くささ”も必要!
◆悲しみを理解すること
- 悲しみを知るたこさんだから、たくさんの人から愛され、たくさんの人を愛せた
- 震災など、人々の心の復興を思うとき、やさしさも大事だが、悲しい心を理解する気持ちがないと取材相手と心が繋がらない。
本日の出席者は498名でした