4/26 四ッ谷用水~藩政時代の上下水道・雨水処理システム

講師紹介(一社)ジモトアーカイブせんだい理事 木 村 浩 二  先生
宮城学院女子大学非常勤講師
監修「宮城「地理・地名・地図」の謎」実業乃日本社
共同監修「宮城のトリセツ」昭文社
執筆「江戸時代の仙台を歩くー仙台地図さんぽ」

NHKテレビ「プラタモリ仙台編」でナビゲーター
歴史関係の講座、講演、街歩きガイドなどをつとめる

<はじめに>
四ッ谷用水だけじゃない、城下町仙台の水利システム
Ⅰ 城下町仙台の立地

1.地形・標高
広瀬川中流域、北・西・南を低丘陵に囲まれた河岸段丘のひな壇地形
東部は、北の七北田川、南の広瀬・名取川に挟まれた平野が広がる。
〇城下北西の大崎八幡宮前で、60m。〇城下中央の芭蕉ノ辻界隈で、40m。
〇初期城下南口の田町界隈で、30m。〇最盛期城下南口の河原町で、15m。

2.地 質                                          表土層下には、4~8m層厚の砂礫層、東側海沿いは10m未満の沖積平野
〔城下エリアの特徴〕
段丘台地上には、洪水のリスクはないが、河川の利活用ができない、
沖積平野部は、広い平坦地が広がるが洪水・高潮・津波のリスクがある

Ⅱ城下町を支えた様々な水の道
1.四ッ谷用水
広瀬川の水を郷六四ツ谷堰で取水し、市中に通水した多目的用水

2.排水堀(下水路)

東7番丁(別名:谷地小路)の水路・清水小路の水路、孫兵衛堀、源兵衛堀
長町利府線(活断層崖)北西側の窪地の悪水吐き

3.灌漑用水
六郷堀:若林城下整備に伴い開削 若林城外堀に通水後六郷地区へ
七郷堀:自然流路を整備 按配堀、高砂堀などに分流(自然川)

4.舟運物流
塩竃~「舟入堀」~蒲生~(七北田川)~鶴巻~「舟曳堀」~苦竹~原町~榴岡御蔵
広瀬川堰場(川湊)御蔵場~七郷堀~若林城下(小泉屋敷辺り❔)

 

5.燃料供給 木材資源(薪)を城下へ
「木流堀」:名取川上流域の木材(建材・燃料)を長町橋袂の木場~堰場
広瀬川角五郎「御流木蔵」 広瀬川上流域の木材集荷木場(舟丁❔)

Ⅲ四ッ谷用水
1.用水の開削
政宗の時代(寛永年間1622~)~1692記載
開府依頼増加した市中人口に直結対応したインフラ
2.用水のネットワーク
本流:郷六四ッ谷堰~八幡町大崎八幡下~土橋通北六番丁~福沢町梅田川
延長約8キロ標高差約26m(約66m~60m~40m)3m/1キロ
支流:3本
第1支流:寛性院丁~土橋通水~市役所・勾当台下~元寺小路~二十人町
第2支流:木町通~元材木町御譜代町~片平丁
第3支流:北鍛冶町~奥州街道を下り、南材木町で七郷堀に
市中の細流 総長40キロ以上、幅3尺(90㎝)、深さ2尺(約60㎝)程
町屋街区は特に細かく、街路中央と街区裏に開渠で流れた。

3. 用途・機能
生活・防火・排水・灌漑など多目的・多機能
さらに地下水涵養
市中の井戸による飲料水 明治以降も多くの井戸が継続して使われた
城下の8割近くに広がった武家屋敷の屋敷林を維持「杜の都」原風景をつくった

 

<おわりに>
”せんだい”、「千代」から仙人の住む(治める)高台=「仙台」へ
「入りそめて國ゆたかなるみきりとや
千代とかきらしせんだいのまつ   むつ」
「温故知新」 政宗公のまちつ”くりに学び、明日の町つ”くりにいかす
城下町仙台のコンセキを再発見して、町中に可視化を!

 

本日の出席者は524名でした。