7/28 平和憲法と鈴木義男~郷土の先人から学ぶ~

講演をする仁昌寺正一せんせい

講演をする仁昌寺正一先生

本日の講師は東北学院大学経済学部名誉教授 仁昌寺正一先生です。先生は岩手県に生まれ東北学院大学で41年間勤務された後、昨年名誉教授となられました。今回は平和憲法と鈴木義男~郷土の先人から学ぶ~と題して講義をしていただきました。その内容は鈴木義男の生涯をたどり、そのことから考えたことを述べられました。

まず、東北学院の歴史を調べる中で、島崎藤村や、杉山元治郎とともに、鈴木義男をまとめた資料を紹介いただきました。そして、最近になって憲法9条の文書に重要な役割を担ったのが鈴木義男であることがわかり、平和憲法の真相に迫っていったことを語られました。

1. 鈴木義男の経歴

1894年福島県白河町(現白河市)生まれ 父親が牧師であったことから、東北学院(中等部)に入学。学院労働会に入り、働きながら学ぶ。第二高等学校を経て東京帝国大学に入学。卒業後2年8か月のヨーロッパ留学、2人だけ合格の助手となり、1924年東京帝国大学法文学部教授となる。第一次大戦終了後、世界的に軍縮の方向にむかうなかで、日本は兵力を保つために現役軍人を配置。この軍事教育を批判したため大学教授の職を辞さなければならなかった。1930年弁護士と法政大学教授を兼務。治安維持法さなか、思想は罰せられないとかかわった人を弁護。しかし、弁護士に限界を感じ政治の世界へ。1946年総選挙で福島全県区から立候補当選。7回の当選中、司法大臣や法務総裁を歴任。青山学院大や東北学院大学で活躍するも1963年69歳で亡くなる。

2. 鈴木義男の「発見」

 憲法制定時にGHQの憲法草案に9条の平和条項や25条の生存権を入れ、国家賠償法などを提案したのは鈴木義男であったことが策定から50年後の1995年明らかになりました。

その背景には①キリスト教に基づいて教育を受けたこと②ヨーロッパ留学で社会法の重要性を認識したこと③治安維持法違反事件の弁護活動をしたことが、平和思想を身につけさせた、とまとめられました。

途中いくつかの映像を入れ、解りやすい講演をしていただきました。

 

本日の出席者は230人でした。