12/7 仙台城跡の復元について

仙台市内の遺跡・史跡の発掘と学術調査に携わられている仙台市文化財課の長島栄一先生から、仙台城跡(せんだいじょうあと)の整備・復元計画の概要と課題について、たくさんの貴重な絵図・写真等を用いて講演いただきました。

講師紹介

講演中の長島栄一先生

仙台市教育委員会 文化財課主査
長島 栄一(ナガシマ エイイチ)先生

東北学院大学 文学部史学科卒(国史古代史専攻)
仙台市教育委員会 文化財課長
宮城県文化財保護審議会委員
宮城県考古学会 東日本大震災復興調査成果活用実行委員会 委員長
現職:仙台市教育委員会 文化財課主査

主な調査
伊達家墓所(感仙殿跡・善応殿跡)、郡山遺跡
仙台城跡、燕沢遺跡、山ノ寺洞雲 ほか

1.仙台城跡の概要

はじめに、仙台城の絵図・写真などにより、仙台城の築城時の状況と史跡の範囲、当時の登城路と考えられる「巽門(たつみもん)ルート」の詳細、本丸に造られた建物群などについての説明がありました。

仙台城跡で復元可能な建物は大手門、脇櫓(わきやぐら)、巽門(たつみもん)の3棟のみ、大広間は絵図はあるが写真が現存しないので復元できない、築城時の大手門の存在が不明、御裏林の中にも中世の城跡(堀切など)が残っている、戦闘状態での築城で超短工期かつ必要最小限の建設だったこと(天守閣なしの理由)、「御清水(おすず)」と呼ばれた水源など…、興味深い話題が満載でした。

2.復元の基準

つぎに、文化庁が定める歴史的建造物の復元等に関する基準の内容について、わかりやすく解説いただきました。

・復元とは「非常に大切な価値を有する史跡等を、原位置に再現すること」
・復元適否の判断基準は「計画をはっきりさせること、価値を有することが明確なこと」
・技術的要件は「十分な根拠があること(正確な図面と写真の存在)」、「復元に関するきちんとした報告書があること」等

以上がそろわない史跡の復元は文化財保護法違反になるとのことです

仙台城本丸の懸造(かけづくり)は原位置となる地面がなく、大広間については写真がないので2棟とも基準を満たさず、復元ができないのは大変残念です。

3.仙台城跡整備基本計画

令和3年度から始まった仙台城跡整備計画のうち、最初の10年間の事業計画を説明されました。

仙台城の本質的価値である

①良好に残る城郭の基本的形状と各遺構
②山城・平城の性格を併せ持つ城郭構造
③石垣の変遷と修復履歴
④政宗らしさのある遺構と遺物(ベネチアンガラスや金箔瓦)
⑤杜の都仙台の象徴

以上、5つの要素を顕在化する計画です。大手門の復元は政宗没400年の2036年を目標に、調査を実施中とのことでした。

また、基本的コンセプトである ”政宗ビュー”【歴史的背景を踏まえた本丸跡からの眺望と、外から眺めても石垣が見える等の市街地からの景観】の実現のため、植生修景の必要性も強調されました。

4.大手門の諸課題 ー 史資料調査から ー

仙台城大手門(空襲により焼失)の復元に際して解決すべき課題について、史資料(大手門の図面・写真や他の城門等の事例)をもとに紹介がありました。

  1. 大手門の建てられた時期、位置の変遷
    ・多賀城の南門(復元中)では7年間もの調査の結果、予想しなかった
    動を確認
    ・大手門が建てられた時期はまだ特定できていない
    ・大手門と脇櫓のサイズ感が違う→同時期の建物か?
    ・国宝指定時(昭和6年)の実測図は江戸時代の姿ではない
    ・大手門の写真の北壁石垣の下には堀が写るが、現在はない
    ◎大手門周辺の発掘調査が必要
  2. 大手門の装飾の時代感は正しいか
    ・大手門の写真→柱上部に菊花紋・桐紋が写る(伊達家の紋はない)
    ・水戸城の門(写真)には類似の紋章がない→元々ないか、明治政府に外されたか?
    ・大手門の紋は第二師団が付けたのものか?

 

最後に、珍しい写真(下)を見せていただきました。
大手門(左上)と石垣前の坂道、明治9年に流された江戸時代の橋(今も土台穴の痕跡あり)が写っています。注目すべきは、橋のたもとに仙台城の絵図にはない建造物(関門?)が写っていることで、まだまだ不明なことが多いことを感じる写真だそうです。

「現在、私どもは仙台城の復元の実現を目指しているので、皆さんのご理解とご支援をお願いします」と講演を結ばれました。

*本日の出席者は426名でした