令和7年度 1/21 第17回学習会「江戸の仙台藩」

⇒本日は、「江戸の仙台藩」と題して東北文化学園大学 特任教授、仙臺郷土研究会 会長であります 渡邊洋一先生にご講演をいただきました。
⇒そもそもの江戸屋敷のはじまりから藩邸の性格、規模、格式などなど‥‥仙台藩はどのようであったのかを詳しくお話いただきました。

講師紹介 渡邊洋一先生

渡邊洋一 先生

略歴
昭和53年3月 東北学院大学文学部 卒業
昭和53年4月 仙台市教育委員会 社会教育課入庁
平成2年4月 仙台市民図書館 郷土資料室配属
平成5年4月 仙台市編さん執筆委員(近世史担当)
平成12年4月 仙台市企画局出向 仙台都市総合研究機構派遣
平成15年4月 仙台市教育委員会帰属 青葉区中央市民センター
平成28年3月 定年により退職
平成28年4月 東北文化学園大学地域連携センター 同 副センター
平成30年4月  同 特任准教授
平成31年4月  同 総合政策学部 准教授
   ~現在  同 地域連携センター付 特任教授 

Ⅰ. はじめに

1. 江戸屋敷のはじまり

⇒豊臣秀吉没後、優位に立った徳川家康に対し諸大名が家康へ恭順の意から肉親を江戸に送り、その居住地を江戸城下及び周辺地に下賜されたのに始まる。

2. 江戸藩邸の性格
〇上屋敷‥‥大名の江戸駐在時の役所的機能を果たし、江戸城周辺に割り出された。
〇中屋敷‥‥江戸常駐の正室・嫡子(嗣君)の居住地、上屋敷に近い場所。
〇下屋敷‥‥火事早い江戸の町において非常時の避難場所として、城下でも周辺地区へ。
蔵屋敷‥‥大名家や江戸詰家臣団の賄所の倉庫や商品取引所役割。
〇抱え地‥‥江戸城下及び近郊に下賜された農地。
※例外として、近郊にお狩場等の山野が下賜される場合もあった。
⇒仙台藩は、現在の埼玉県久喜市にあった。狩りのみならず軍事訓練にも使用。

江戸藩邸の性格

3. 江戸藩邸の規模
⇒大名の禄高に応じて、屋敷の規模・門の格式も違っていた。
⇒将軍家から嫁を貰うと御朱殿となる(赤門)。
⇒各屋敷に表札は無く、武監図(大名の住所録)によって調べる。

江戸藩邸の規模

Ⅱ. 仙台藩と江戸の関わり

1. 仙台藩の江戸藩邸
⇒慶長6年(1601)9月、関ヶ原合戦の戦後処理中の徳川家康と伊達政宗が謁見。
⇒江戸に四屋敷を拝領‥‥仙台藩における江戸藩邸の始まり。

2. 上屋敷の変遷
⇒仙台藩の上屋敷が
置かれたのは、外桜田屋敷、愛宕下屋敷、芝口三丁目海手屋敷(濱屋敷)の三箇所。

3. 本屋敷・中屋敷・下屋敷の変遷

4. 江戸藩邸の終焉
⇒明治維新後、明治政府の意向で廃止。旧大名屋敷は、収公され、多くは
軍用地、官公庁用地、学校用地となるが、一部は政商等(後の財閥)に払い下げられる。
⇒仙台藩の江戸藩邸の状況
‥‥明治3年(1870)8月、伊達家の
東京での根拠地は、官邸➤日比谷邸、私邸➤愛宕下邸・駒込亭。

江戸藩邸の終焉

Ⅲ. 仙台掘と仙台運河

1. 仙台掘の開削
【参考】御茶ノ水の由来
⇒関東ローム
(火山灰)内に立地する江戸では硬水で、お茶に適する軟水は皆無であったが、仙台掘普請の副産物として軟水が出水、それが現在の御茶ノ水付近でこの名がある。

2. 仙台堀川と仙台河岸

Ⅳ. 品川大井屋敷と仙台味噌

1. 品川大井屋敷の性格
2. 仙台味噌の生産
⇒品川大井屋敷内で勤番の藩士の賄用として生産されていた余剰分を江戸市中へ販売したことで”仙台様の味噌”から”仙台味噌”と称されるようになった。

品川大井屋敷の性格と仙台味噌の生産。

【参考・おまけ】赤穂事件の引き上げの道

赤穂浪士は吉良邸討ち入り後、泉岳寺までの引き上げの途中、仙台藩上屋敷(芝口三丁目)で粥の饗応を受ける(上屋敷ではなく、愛宕下の本屋敷かもしれない)。

Ⅴ. おわりに

〇藩政時代の伊達家の軌跡
1. 江戸藩邸の経営
2. 天下普請の功績と藩の信用
3. 江戸の経営の底支え

仙台藩の拠点はほとんど無くなったが、多くの経済・文化遺産として残っている。

 

 

※ご講演の最後に質問時間をもって頂きました。複数の質問に対してご丁寧な回答を頂きありがとうございました。

 

※ 本日の出席者数は、553名でした。